サポーターレベルアップ講座

サッカーをメインにして、他のスポーツに関しても独断と偏見で論じていきます。皆さんがスポーツを楽しむ、考える際の参考になれば幸いです。

キチガイに刃物

まず、秋葉原で、通り魔のキチガイに惨殺された被害者のご冥福を祈ります。御遺族・友人の皆様、深くお悔やみ申し上げます。

 秋葉原で起きた通り魔の惨劇は、まさに 【キチガイに刃物】。
もしサッカー観戦に大勢のサポーターが集まったスタジアムで、このような事態が発生したら、大変な事になる。スタジアムの中と周辺は見通しが良くて遮蔽物がほとんど無いから、今回のように刃物を持ったキチガイが走って追いかけてきたら逃げ切れないかもしれない。

 サッカーやサポーターに対して、被害妄想で逆恨みするようなキチガイが居て、もし行動を起こしたらと想像すると不安を感じる人も居ると思う。日本協会もJリーグも非常事態に備えて準備しておいてもらいたい。

秋葉原だったら、パソコンや・ゲーム関係・電気製品などが展示されてるから、いざとなったら、投げやすい小物や頑丈そうな製品を手にして戦う覚悟を持っておいた方がいい。むざむざ殺されるのではなく、逃げ切れ無い場合は戦わなければいけない。刃物さえ押さえるか手放させてしまえば、後はボコボコにして警察官が到着する前に、犯人のキチガイを殺しても構わないだろう。まず正当防衛が成立するだろうから、それなりに処分すれば良い。一人で出来なければ周辺に居わせた人たちとリンチにかければ良いだけだ。

 通り魔のキチガイは、少なくとも熱烈なサッカーファンではないはずだ。
EUROが開幕、W杯の3次予選まっ盛り、しかも北京五輪は男女アベック出場。
こんな時に自殺したり、事件を起こして逮捕、拘留されたら、応援も観戦も出来なくなってしまう。
だから、このキチガイは熱烈なファンじゃないのが判る。

そうそう、キチガイという言葉は差別用語、放送禁止用語だから「キチガイに刃物」という言葉を良くないと思う人も居るかもしれないけども、こういう惨劇を起こす奴は精神障害者ではなく「キチガイ」と言ってやるのが相応しいんだよ。

長沼健さんの思い出

亡くなった長沼健さんの思い出を話そう。

今から32年前、1976年3月21日・モントリオール五輪予選の対韓国戦が国立競技場で行われた。
日本代表の監督だった健さんは、試合前に、このゲームがA代表の公式戦初出場の中大4年生だった「高林⇒卒業後に日立」を連れて、リラックスさせる為にピッチを歩いて一周したんだけど、バックスタンド中央を通り過ぎた時に、19番ゲートの上に陣取った我々サッカー狂会員達、(あの時は30数人居たかな)が、「ニッポン!チャチャチャッ!」の後に「健さん!チャチャチャッ!」とやったら、振り向いて我々の方に大きく手を振ってくれたんだな。些細な事かも知れないけども、応援していた我々は嬉しかった。

この試合は「ニッポン!チャチャチャッ!」の声援が「スタンドの点から面へ拡がった」最初の試合だった。もちろん、バレーボールではまだ、そういう応援はやってなかったのは言うまでもない。

試合開始前に、わずか30数人の声援がちゃんと届いて、それにに反応しちゃうなんて、今では考えられない状況だったんだけど、健さんと言うのはそういう人だった。
これがサポーターの立場から見た一番の思い出かな。

代表監督の時、協会の専務理事、会長、最高顧問と役職や立場は代わっても、底辺のファンを大切にする義理人情に厚い人だったと記憶しておきたい。

中田氏は見せてくれると思う

 中田氏が親善試合に備えて湘南で練習を行っているようだが、本番ではそれなりに期待して良いと思う。今更現役復帰でもないと思うが、プライドの高い人間だから相当トレーニングを積んで、無様なプレーを見せないように心がけるだろう。

 引退宣言してから2年、不安があるとしたら実戦から遠ざかっている事によるゲーム勘が戻っていないのとスタミナ不足が挙げられる。技術的には元々高いレベルにあったし、簡単には衰えないから、アット驚くようなスルーパスとかサイドチェンジなんかを見せてくれる可能性が高いと思う。現役時代に、蹴って走るだけだった選手と言うのは、引退して体力が衰えると醜態を晒す事が多いけど、テクニシャンタイプや、技術的にハイレベルで安定していた選手と言うのは、よほどの不摂生をしていない限り、結構見せ場を作れるものだから、失望するような事はないと思いたい。
 まだ31歳の若さ!だから、おそらく「まだ現役でやれるじゃないか」という声が出ても不思議じゃない展開になるような気がする。

 このイベントは中田氏にとっても今後の方向性を探る意味でも重要なものみたいだから、もし「本気モード」ならば、なんとか成功させて、このようなイベントをこれからも企画する意向なんだと思う。
引退後は世界を旅してとか、いろんな大使やら使節みたいな方面に首を突っ込んでるみたいだけども、現役を引退後は世間やマスコミの関心も大幅に低下して存在感が薄くなっていたが、自分にいいt版大切で世間に影響を与えられるのはサッカー関連のイベントだと気がついたのだろう。

 

クラブW杯は決勝戦だけで良い

 クラブW杯が終わったが、今年も決勝戦は面白かった。
決勝戦が素晴らしかった分だけ、他のゲームがゴミクズ同然に見えてくるのも当然か。

 守備の強さと巧さをベースにした「インテル」がカウンターを決めて勝ったのは、日本のサポーターとジャーナリストの教育という視点にたって見れば非常に良い結果と内容だったと思う。

1・相手のスーパースターを徹底的にマークして長所を消す。
2・ボールを奪ったら中盤で手数を掛けずに速い攻めで、一気に攻め込む。
3・華麗なテクニックとトリッキーな個人技を主体にした攻撃的なサッカーを見せるのではなく、フィジカルの強さと勤勉でしつこい守備によって「バルセロナ」と「ロナウジーニョ」に対抗する戦術の採用
 
 この大会は昨年は赤字だったが、今年の大会は約3億円の黒字になる見通しだとされている。それは大変に結構な事で、赤字を出してまで強行するイベントではない。なぜ黒字になったかというと、やはり「バルセロナ〜ロナウジーニョ」の存在が大きいのではないか。ビッグスターが出場するかしないかが、集客力に大きく影響するのは止むを得ないのが現実だ。

 【アジア】【オセアニア】【アフリカ】【北中米】のレベルの低さは、大会の興味を削ぐだけでなく価値を低めるマイナス要因となっている。今回、アフリカ代表の「アルアハリ」は健闘したが、アジアとオセアニアは参加する事自体に無理がある。
 各大陸クラブチャンピオンによるタイトルマッチにこだわるならば、それこそ、FIFAがこの地域のクラブ単位でのレベルアップを計るようなプロジェクトを実施するべきではないだろうか。 
 特にオーストラリアが抜けたオセアニアは絶望的ともいえるのではないか。強くなる要素が全く感じられないのだから。
 
 本当に決勝戦以外は全く観る気がしない酷いゲームで、≪招待券をもらっても≫時間を割いて行く気分にならない。今回も準決勝で「ロナウジーニョ」の妙技が楽しめたから、そういう意味での面白さはあったが、バルセロナもインテルも準決勝と決勝を比較すれば、全くお話にならないほどの違いがあった。この両クラブの大会への取り組み方は≪決勝戦で勝つ≫為の参加であり、それまでは準備期間に過ぎず、全力を出す必要は無いのだ。
 つまり単なる調整程度の気持ちでゲームに臨む両大陸のクラブに対して、他の大陸のクラブが善戦しても素直に受け取り評価するのは全く無意味だ。
 ≪戦力の比較は相対的な物≫であるから、格上の相手がメンバーを落とすとか全力でなければ、格下の方のプレーが≪通用して当たり前≫と思って見るべきと考える。

WBC・対アメリカ戦の誤審から学ぶ事

 今、WBCという名称の野球大会がアメリカで開かれている。日本がアメリカに負けた試合で、審判の誤審があり、それが原因で日本が負けたとされているが私は全く同情しないし、憤慨もしない。

 なぜなら、他のスポーツの世界では、露骨なホームタウンジションなど別に珍しくないし、それで悔しい敗戦という苦い眼にあった事が多いからだ。
 例えば、70〜80年代に、サッカーが不利な扱い、理不尽な判定で負けても、サッカー専門誌以外のマスコミやスポーツライターは、アジアでも勝てないとか、弱いからだと言って馬鹿にして蔑んで、嘲笑の対象としてきた。

 今回、野球で誤審で負けた事で、やっと世界の舞台で勝つ事の大変さ、アウエーゲームの厳しさ、等が理解される切っ掛けになるはずで、むしろ野球人にとってこの結果は良い事なのだ。学習の場として素晴らしい体験を積んでいると思えばよいわけで、憤慨するのではなく、
≪そのような場を与えてくれた審判≫に感謝するのが正しい姿である。

 今まで野球人の大半は、日本国内だけで、どこが勝った負けたを争っていただけだった事。
 野球マスコミはレベルの比較など関係なく、誰かがこんな面白いプレーやコメントを残したなんて事を、面白おかしく取り上げて、バラエティ化してきた事。
 
 そういう温室育ちの連中が外界の厳しさに触れた、そしてその事象への対応に追われている。
 これが今回の対アメリカ戦の判定から見えてきた事で、それは、野球人が成長していく上での成果といえよう。

 国際舞台へ出る。外国のチームと海外で戦う。勝負事である以上、参加各国の思惑が交錯して予想外の展開になる。そのような経験を積みかさねて世界的な視野で、野球やスポーツやルールを考え、判断する事が出来る人材が育つ。

 だから、悲劇や遺恨ではなく『学習』『体験』として語り伝えるのが正しいのだ。