サポーターレベルアップ講座

サッカーをメインにして、他のスポーツに関しても独断と偏見で論じていきます。皆さんがスポーツを楽しむ、考える際の参考になれば幸いです。

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天皇杯・33年前の思い出

 天皇杯決勝は「柏レイソル」対「ガンバ大阪」に決まった。

柏は前身の日立製作所で優勝した55回大会以来、33年ぶりの
決勝戦進出という快挙だ。

 このブログを始めた最初に書いた記事が天皇杯決勝だったが、
自分が初めて国立競技場の決勝戦を生で観戦したのが、そのゲームだった。

1975年という年は、ボールゲームにとって、ある意味、歴史的な年でもあった。
サッカーではバイエルンミュンヘンが来日して1月5日・7日と2ゲーム行ったが、
観客動員数が主催者発表で、5万5千人と4万5千人。

そして1月15日に行われたラグビー日本選手権決勝が6万人という大観衆を
集めたのだが、これがその後10数年ほど続いたラグビーブームの切っ掛け
となったゲームである。正確に言うとマスコミがラグビーを大々的に取り上げる
切っ掛けとなったゲームというべきか。

 サッカーはベッケンバウアー・ミュラーの豪華マッチ。それに対してラグビーは
日本一を決める国内大会。嫌でも比較されてしまわざるを得ないイベントであり、
サッカー全般とラグビー日本選手権との集客力の差が決定的に露呈したのである。

 その時にサッカー担当記者が某専門誌に書いた記事が印象的だった。
「ラグビー日本選手権に大観衆が集まったのは、関係者の努力の集大成の結果だ。
サッカーの記事を増やしたいと思ったら、まず天皇杯決勝戦で、国立競技場を
満員にする努力をするべきだ。もし満員になったら、マスコミ各社の扱いは大きく
変わるだろう」
 少し違うかも知れないが、おおよそ、そのような趣旨の内容だった。

その時に、自分は決めた。
「ヨシ!毎年、元旦は対戦カードに関係なく、国立競技場へ足を運ぶぞ」と。


当時、低迷してマスコミの扱いも小さく少なかった事を嘆き悔しかった自分に
とっては、サッカー日本一を決める大会に足を運ぶ事で、国立競技場を
満員にする事に貢献するのは、一種の義務となり、元旦に集まるファンとの
連帯の場でもあった。

 それが1976年の元日(75年度)の「日立対フジタ工業」の1戦だった。
それ以来、後藤健生さんと香港まで、スペインW杯予選を応援に行った
60回の三菱対田辺製薬、チケットが入手出来なかった85回の浦和レッズ初優勝
の2回を除いて、全て決勝戦は生で観戦している。

日立が、71年から「走る日立」をキャッチフレーズに築いた黄金時代の終盤だった
のに対して、フジタ工業は、ブラジルスタイルが軌道に乗り、強豪チームへの基盤を
構築中の新進気鋭のチームだった。

 風邪による高熱を押して強行出場した「ハイエナ・松永」の2ゴールで日立が
2-0で勝った。内容的には互角だったが、経験の差が勝敗の境目となった。
以後、日立は没落し衰退の道を歩むが、フジタは読売・日産に主役を奪われるまで、
黄金時代を築く事になる。

確か、この時から、優勝チームがメインスタンドの階段を上り、ロイヤルボックスで、
優勝カップを受け取るというスタイルが始まったと記憶している。それまではピッチで
表彰式を行うという、日本ではおなじみだが、ちょっと野暮ったいと言うかなんというか、
やはり「カップ戦」は、FAカップのように、ロイヤルボックスへ選手が上がってゆき、
カップやトロフィーを受け取り、高々と掲げるというスタイルの方がサッカーらしいという
声を取り入れた点は素晴らしかった。

 今じゃ当り前のように行われているが、ベテラン選手が多くて、泥臭いサッカーだった
日立は、その新しい表彰式には、慣れてなかったせいか、ちょっと違和感があったのが
印象的だった。

今大会では、どんなドラマが生まれるか楽しみである。

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